R
昭和五十三年十一月五日 朝の御理解
御理解第七十九節 商売をするなら、買い場、売り場と云うて、もとを仕込むところと売り先とを大切にせよ。人が口銭を十銭かけるものなら八銭かけよ。目先は二銭損のようでも、安うすれば数が売れるから、やはりその方が得じゃ。体はちびるものでないから働くがよい。
先日、日田の高野さんと云う食料品屋さんがあります。野菜、果物まで売って居られる。もう三年も前だったでしょうか。近所に大きなマーケットやら、スーパーが出来て、谷間のようになって商いがパッタリと止まってしまった。そこで商売がえを。他の商売かえをしたい、と云うてお届けがありましたから。商売かえの必要はない。しっかり神様にお願いをして、おかげを頂けと言うことで。それから教えに基ずいて本気で、一生懸命商売に夫婦で身を入れられることになって。おかげを頂いてから、その一時は離れたお客さんもまた段々戻って来て下さるようになり。この頃では、何と云うですか。心のない商売。只、有難うございますでも。只、有難うございますと言うだけのぢゃなくて、心から、真心から、もうしんから有難うございますを言われる。ここで買うたがいいとお客さんが。今、大変繁昌致しております。
先日からも、そのお礼お届けをされました。普通から云うなら不思議なことですけれども、大きな業者の合い中にあって、そこなりの繁昌のおかげを頂いておる。その原因の基が、どこにあるかと云うとね。商品を、しっかりと拝まれると云うことです。もう乾物一つ、お野菜一つ一つ、もう拝んで廻られる。
先日から、先生こんなこと、人に云うたら笑われましょうけれども本当ですから、あのお届けいたしますと。ここね、乾物がもの云うとが分かると云う、響いてくるのです、頭に。それで、その乾物を拝まれる時にね。本当に、あなた達が喜んで貰う様な商いがさせて貰いたいが、どういう商いをさせて頂いたら。あんた達が、もう喜んで貰える様な祈りをさせて貰たらね。どう云う御祈念をしたら、あんた方自体も喜んでもらえるじゃろうか。と云うような祈りをしたらね。その乾物が云うことがですよ。符牒を付け替えてくれと言った。これはね、物言うと云うて、こうと云うのぢゃなくて。いつも、繁雄さんのお話を頂いとると、そうでしょうがね。お野菜の、一本一本が話しかけてくるような。そう云う不思議な世界が、やっぱりあるんです。まるっきり繁雄さんのごたるの、と云うて話した。お百姓さんが、云うならお野菜と話し合いが出来るように。商売人が、商品と話し合いが出来るように。商品が腹を立てておる、商品が悔やんでおる。だからどう云う風にしたら、商品が一番喜ぶだろうかと、その乾物が呼びかけてくれるそれをね。何かこう響いてくる。早速、全部の商品の符牒を付け替えた。と云ったような商いをしておられますから、繁昌する筈だと思いますね。なかなかです、十銭のものは八銭で売る。そりゃ売るために八銭で売ると云うような、云うならば商売もありますよね。今、スーパーマーケットの売り出しなんかの時に、見ると本当に元金を切って売りよるとじゃなかろうかと云う様な物もあります。それは但し、売らんかなの為ものです。商品が喜ぶ為のものではないと云うこと。私は、信心はね。教祖は、ここに十銭のものは、八銭にと云うておられるけども。やはり、その商品の一つ一つが真から拝めれると云うこと。真から拝めれるところに、そこに交流するものが出来れて来ると云うこと。
これはまた、仕入れをする時にだって同じようなことが言えれるのぢゃないでしょうか。売る時には、これはむつやのお母さん達が居ります時分に、私が申しておりましたが。むつやで例えば、呉服屋さんです。御祝儀のものでも買われたら、もう絶対、離縁とか、離婚とか云うことにゃならん。もうあそこで御祝儀ものば買うならば、もう必ず円満に行く。ちゅうぐらいの、祈りを込めなさいと。いつも私が云いよった。沢山のお金をかけて、嫁入りの衣裳は買われる。例えば値段は同じでも、品物は同じでも、そう云う祈りが込められておるところにです。本当にむつやで買うた、結婚の衣裳を買うと。もう本当にあそこで買うた者に、別れなさったげな、離婚になんなさったげなと云うこと聞いたことない位の祈りを持て。
私は、久留米の笠さんにもそれを申します。それを実行しておられる。自動車を修繕されて、そしてそれをまた売ったりされる。だから、そこに笠さん方で買うた自動車で、事故のあることは無いごと、言われるぐらいな祈りを込めなさいと云う、ね。そこからです、笠さんも自動車と、もの云われなさるですね。自動車が、もの云いかけてくれる。
本当に、私はあの心と云うものはね。例えば、そう云う乾物とか、自動車には心が無いと云うけれども、それは嘘です。あるです。
ですから真から、その一つ一つを真から拝ませて頂いとる間にです。その野菜なら野菜が、もの云いかけて呉る。乾物なら乾物が、もの云いかけてくれる。
しかも高野さんの場合なんか、そう響いてくるち。符牒を付け替えてくれと。それで符牒を付け替えてしもうて、お礼を云うてですね。あの符牒を付け替えたお礼を云うた。云われたらですね。今度は、あの符牒を付け替えるとね、早く売れると。高く付けとると、店の隅の方でいつまでも売れんな、見せざらしになって、しまいには捨てられんならんことなる。これが一番苦しいと、商品としては。符牒を付け替えてもらうと、早く売れる。そしてね、人間の体の中には入れる、血肉になれると云うことが一番の喜び。と云うのが頭に響いて来たと云う、ね。ラーメンならラーメン一つ、即席ラーメンば売るとするとね。それが、人間の体内に入って血肉になる。これが自分たちの、一番の喜びだと。自分ぢゃない、自分達の他の商品も皆そうだと云う。人間の、云うなら血肉になると云うことが、自分達の喜びだと。もうそれ以来、もう本当に一つ一つの商品に話しかけ、もの云いかけ。そして、それが売れて行く時には、どうぞ相手に喜ばれる様に。それこそ娘を嫁入らかす様に。あちらに、どうぞ気に入って貰う様に、ね。戻ってどん来ることが無いようにと云う祈りを込める。
これは、私はむつやさんに話しておったこともそうでした。仕入れる時は、それこそ養子でも迎えるような気持ち。この養子一つで家が興りも、衰微もする。だから良い養子を迎える。売る時には娘を嫁入らせる。その心持ちで、売らせて頂きなさい。それをですね。例えば、高野さんの場合なんかは、その商品が一番、生あるものの様に、一番喜ぶ生き方をされる。成程、商売が繁昌する筈だと云うことが分かります。
これはね、商売、商品と云うだけぢゃない。お百姓さんの作った作物と云うことだけではない。人間関係の場合だって、同じことが云えると思うです。
本気で、相手を拝むと云うことです。本気で相手を拝む。そこからです、形ぢゃ無いですよ。心で相手を拝む、嫁を拝む、姑を拝む、親を拝む、子を拝む、拝んで行くうちに、交流するものが必ず生まれて来るです。もの云いかけて来るです。乾物でも、物云いかけてくるのですから。ああ有難い、済みません。もうそう云うふうに扱こうて貰うとが、私は一番有難い。と云うた様な、私は交流が始まると思うです。まず本気で拝み抜くことだ。そこからね、生ある筈のない。云うなら、乾物が物云いかけてくれるようなこと、しかも言葉が、徴に入り細にわたって響いてくるのです。高野さんの場合は。
それを私は、この頃聞かせて頂きましたがね。こげなことば、人に云うなら笑いなさろうばてん、本当にそげん響いてくる。人間の体内に入って血肉になる、それが自分の一番喜びだと云う。自分だけぢゃない、自分達の仲間も同じだとこう云う。そこで、商品を大事にせねばおられない。いつも、どこよりも高いことがあっちゃならない。その符牒を付け替えるような気持ちでです。おかげを頂くなら、それが教祖のお言葉なのですから。教祖様の、仰ることを守ると云うことがおかげになる様にです。例えば、スーパーマーケットだったら、原価で大安売り、で売ると云った様なこともあろうけれども。それは只、売らん哉のためでしょうが。人気取りのためにでしょうが。そう云うこっちゃない。そんな我情じゃない、我欲ぢゃない。本当に、その商品が喜ぶと云うことのために。と云うことは、そのまま神様が喜んで下さることのために、商品一つ一つの中に神様の願いが、思いと云うものが込められてある。だから拝まずにはおれんと云うことになる。お野菜だけぢやない、乾物だけぢゃない。人間がです。私共が、本気で拝み抜かせて頂くところから。そこから必ず、交流するものが生まれて来る。それこそ喜ばしい返事が帰ってくる。
金光様の御信心の素晴らしいところはね。そう云うところだと思うんですよ。一切が物を拝むと云う。だが拝むだけではない。拝み抜かせて頂いておるとです。そこから、云うならば乾物のささやきが聞こえてくる。しかも、こっちが乾物に願うように。乾物もまた、私共に対して、願っておる。その願っておることが聞こえてくる。ああそげなこっちゃったの、ならそげんしょう。と符牒を付け替える。
繁雄さんが、畦道を通っておられると、痒いと云いよるごたる感じがするげなもん。それで、こうやって見てみると、確かに虫がこうやって付いておる。そう云うような話を、聞いたことがあるですけどね。だからそれが本当に、こう微妙に響いて来る程しの、心の状態をいつも作っておきたい。もう使わせて頂く総ての物、本気で拝ませて頂く。この高野さんの、このお話を本人から一遍聞かれると、もっと素晴らしいです。その時に頭に響いて来る通りの言葉を。私は覚えておりませんけど。高野さんは、今私が申しましたような、ことをもっと実感を以て。その乾物が話しかけて来る。その変事をする、それを聞き取っておられます。そんなら繁昌する筈だね。しかも真からの、それこそお客さんをまた拝んでおられる。本当に心の底から、有難うございますが云える。心の無い有難うございますでなくて。通う、心のある有難うございます。通う、だから少々よし高かっても、ここで買ったが良か。と云うような、お客さんがおかげを頂いておると云うお話でした。どうぞ。